2016/09/30
2016年9月27日(火)に、本の出版に向けて日子流の田中光四郎先生との待望の対談が実現。
■田中光四郎先生
1985年AK-47、ロケット砲を手にアフガニスタンのゲリラと旧ソ連軍と戦い、世界のジャーナリストに「アフガンのサムライ」と畏敬を込めて報道された伝説の武道家。
日子流護身術の創設者。
あのシルベスター・スタローンのヒット作「ランボー怒りのアフガン」のモデルになったなど、数々の伝説を残す。
フィリピンの特殊部隊SWATやミャンマー・タイ・エジプト・イラク・アメリカやヨーロッパ各国へも指導に赴き、世界からも高く評価されいる。現在も世界中を飛び回っている。
1985年AK-47、ロケット砲を手にアフガニスタンのゲリラと旧ソ連軍と戦い、世界のジャーナリストに「アフガンのサムライ」と畏敬を込めて報道された伝説の武道家。
日子流護身術の創設者。
あのシルベスター・スタローンのヒット作「ランボー怒りのアフガン」のモデルになったなど、数々の伝説を残す。
フィリピンの特殊部隊SWATやミャンマー・タイ・エジプト・イラク・アメリカやヨーロッパ各国へも指導に赴き、世界からも高く評価されいる。現在も世界中を飛び回っている。
友人の川口明信さんのおかげで青山メインランドでの対談が実現できた。感謝、感謝、大感謝・・・
今回の対談には、私たちの他に編集者の高島敏子さん、「落語家」桂歌助師匠、「お産のいえ せたがや うみのもり」佐々木恵美さん、西村さん、鈴木さん、平岡さんと全員で8人となった。
光四郎先生の愛嬌たっぷりな笑顔と仕草、身のこなしはやはり超しなやか、かわいらしさがあふれている。この方が天下の”けんか屋ストリートファイト”ゲリラ戦の勇士、ソ連とアフガニスタンで戦い続けた勇士とは誰も信じられない。
素敵な仕草にみんなの心をなごませていただいた。
先週まで稽古でサンフランシスコ、明日からハンガリーへ旅立つ前日の夜という多忙の中、私のために時間をさいていただく。
素敵な仕草にみんなの心をなごませていただいた。
先週まで稽古でサンフランシスコ、明日からハンガリーへ旅立つ前日の夜という多忙の中、私のために時間をさいていただく。
まずは、素敵な時間と皆様の幸が喜びとともに時間の中に溶け込みますようにと祈りを捧げると共に邪気祓い。
いよいよ対談が始まると、この世のことではないと思われるほど衝撃的な話題が次から次へと炸裂した。光四郎先生のけんかの技、まれなる身体能力の発揮、若い時(50年以上)も前からのひとり稽古、生まれた九州の田川、生い立ち、アフガン戦争、銃弾を耳に受けながらの戦い、全世界と要人を守る特別警察、SWAT等様々なあるがままなすがままなされるまま。
最後に、そぞろ歩きで退場。
小指の第三関節の超威力の対談、母子球からのかまえ、備えなどの演習や、スタンス、姿勢、小指の仕草が身について小柄な女性でもいとも簡単に男の人を撃退できるという護身術のびっくり身につけ方の実践をしてお開きとなった。
小指の第三関節の超威力の対談、母子球からのかまえ、備えなどの演習や、スタンス、姿勢、小指の仕草が身について小柄な女性でもいとも簡単に男の人を撃退できるという護身術のびっくり身につけ方の実践をしてお開きとなった。
今回の対談の立役者の皆様に大感謝。
周囲に支えてくれる友がいることは本当にありがたいこと。スタッフの良さが友の良さが支えてくれている。
周囲に支えてくれる友がいることは本当にありがたいこと。スタッフの良さが友の良さが支えてくれている。