横浜市南区の気功整体院です。横浜市営地下鉄ブルーライン「阪東橋駅」から徒歩約5分。京急本線「黄金町駅」から徒歩約8分。肩こり、腰痛、膝痛など、気功治療を行います。

我がふるさと・糸魚川へ

3月20日(火)から3日間、東京を11:00に出発し、故郷・糸魚川へ。
13:30ごろに到着してみると、くもり空に迎えられました。
3日間とも、みぞれ交じりの雨、強い風が吹き荒れている日々でした。
 
夕方までの時間を、えちごトキめき鉄道に乗り込み、泊(とまり)駅で過ごします。
1時間ほど帰りの列車をまち、行きと同じ列車に乗り込み糸魚川への帰路を進みます。
 
青海駅で途中下車。
ここ青海駅は、68年前に横浜へ出てくる際、生まれ故郷の人たちと別れた辛い思い出のあるホームであります。
68年ぶりにホームに佇んでいますと、小学2年生だったあの時がよみがえります。
あれから・・・現在、76歳。
あの頃は、このような人生を歩いていることは想像もできませんでした。
 
翌日、姫川から上流の長野県小谷村の猫鼻の湯へ、ご挨拶及び、とっても良い源泉へ。
極寒の寒さの中、湯舟に身をゆだね、20分以上身体の芯から温かさがつたわり、身体の節々の痛みが楽になって一心地。
 
最終日は、天下の難所、「親不知」へ。
いとこと晴男さんに同行してもらい、難所の一部を歩きました。
荒波寄せては返す海風は容赦なく吹き荒れる漁村でした。
 

enlightened親不知
かつて、越後国と越中国の間を往来する旅人は、この断崖の下にある海岸線に沿って進まねばならず、古くから北陸道(越路)最大の難所として知られてきました。波間を見計らって狭い砂浜を駆け抜け、大波が来ると洞窟などに逃げ込んだが、途中で波に飲まれる者も少なくなかったといわれています。
 
市道・天険親不知線は、昭和61年建設省の「道の日」制定記念の一環として進められた、「日本の道百選」の一つに選ばれました。また、この道は、貴重な歴史的土木構造物して、平成19年に土木学会選奨土木遺産に認定されています。
 
enlightened親不知・子不知の由来
今から八百年前の源平盛衰の昔、越後の五百刈村へ移り住んだ、池大納言 平頼盛(平清盛の異母弟)の後を追って、この地を通りかかった夫人が、懐の愛児を波にさらわれ、悲しみのあまりこの歌を詠みました。
 
 親しらず子はこの浦の波まくら
 越路の磯のあわと消えゆく
 
この歌が地名の由来といわれる親不知・子不知は古来から旅人が北アルプス北端の断崖と、日本海の荒波を縫って、命がけで通行する、天下の難所といわれています。
 
enlightened天下の難所
旅人は、この地を通る前に、必ず「無事に通れますように」と、波除観音にお祈りをしてから出発しました。また、波除観音の下方にある岩は、旅人が波にさらわれないようにとしがみついたが、だんだん下へずり落ちてゆき、ほほの髭が擦り切れたことから、髭剃岩といいます。
この天下の難所にも、大懐・小懐や大穴・小穴のような天然の避難所があります。大懐から大穴までは、親不知中最も危険なところであり、走り抜けないと波にさらわれることから、長走りと呼ばれています。
また、小穴を過ぎると、絶壁に「南無金剛遍照」と刻まれてあり、ここから西は、走り込みと呼ばれ、ここまでくればもう安心といわれました。
この親不知の難所を越えればまるで極楽浄土を旅するようだということで、そのあたりは浄土と呼ばれており、そこには、波除不動が祭られています。旅人は皆、「無事通り抜けられました」と手を合わせて、先へと旅立っていきました。
 
enlightened人と道の物語
この天下の難所も明治11年、明治天皇御巡幸を契機に国道建設運動が盛り上がり、明治16年に東西日本を結ぶ日本海側の大動脈が完成しました。この工事は、断崖絶壁を縫って、すべて人力で行われ、苦難を極めたといわれております。また、この開通記念として、道路から見上げる大きな一枚岩に、約1メートル四方の字で、「如砥如矢(とのごとくやのごとし)」と刻まれ、開通の喜びが表されています。
このように、明治人が近代国家建設にむけて開削した道が、現在の市道天険不知線です。
その後、改良と災害復旧が重ねられましたが、車社会に対応して昭和41年に国道8号天険トンネルが完成しました。

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