2018/03/13
福島県三春町にある温泉へ2度目の湯治へ訪れました。
みちのく霊泉「やわらぎの湯」は、驚くべき放射線保有量を持つラジウム温泉です。
万病に効くと言われている天然放射能ラジウム温泉で、日々の疲れ切った身体に活力を呼び戻そうとやってきました。
3月13日(金)
1回より2回、2回より3回と、幾度となく岩盤浴・熱いラジウム温泉にひたり、いろとりどりの重病な方たちの言葉を耳にはさみながらの3日間でした。
ここのラジウム温泉につかると、内臓が元気になり、水や食べ物がいつもよりするすると入っていくので驚きます。
消化器系が元気になると飲める、食べられる、栄養がきちんと吸収される、身体全体が元気になるという循環が出来上がるのだと感じています。

日本三大桜に数えられる滝桜は、大正11年10月12日に、桜の木としては初めて国の天然記念物に指定された名木です。
開花期には四方に伸びた枝から、薄紅色の小さな花を無数に咲かせ、その様はまさに流れ落ちる滝のように見えることから「滝桜」と呼ばれるようになったとも言われています。
開花期には四方に伸びた枝から、薄紅色の小さな花を無数に咲かせ、その様はまさに流れ落ちる滝のように見えることから「滝桜」と呼ばれるようになったとも言われています。
桜山一帯を見ながら時間をかけて野山もあることができました。
春先の花々にたくさん出会った旅でした。
健康で丈夫な身体を維持することの必要不可欠なことでありましょう。

三春町の歴史を語る時、そこには数多くの人物が登場します。そうした人物を取り上げ、簡単にご紹介したいと思います。第1回目は、陽徳院=愛姫をご紹介します。
愛姫は、三春の歴史に登場する女性として最も有名な人物であり、多くの人々が関心を持っている人物でもあります。基本的なことから確認していきましょう。
名前は「めご」姫と読みます。仙台藩伊達家の歴史書「伊達治家記録」天正7(1579)年冬の条は、愛姫と伊達政宗の結婚を記していますが、そこには「田村大膳大夫殿坂上清顕ノ嫡女愛姫御入輿」と書かれており、読みが「女吾」、つまり「めご」だったことが示されています。
生まれた年を書いた史料はありませんが、亡くなったのが承応2(1653)年1月24日、数え年86歳の時ですから、そこから逆算すると、永禄11(1568)年誕生となります。父親は戦国大名田村氏の三代目清顕、母親は戦国大名相馬顕胤の娘で、愛姫は一人っ子です。
愛姫は、「独眼竜」伊達政宗の正室ですが、若い時期には仲違いをしたこともあったようで、当初は夫婦仲も良くはなかったようです。しかし、二人の関係は次第に睦まじいものとなり、4人(一女三男)の子宝に恵まれました。
二人の関係を示す最も興味深い出来事は、寛永13(1636)年5月24日の政宗死去に関わるものです。
「伊達家治家記録」によると、政宗の病が重くなるにしたがい、愛姫は何度もお見舞いに行きたいと願ったそうです。しかし、政宗はその願いを聞き入れませんでした。その理由は、もし病気が良くなるようなら愛姫に会いたいが、病気は重くなるばかりであり、そのような自分の姿を見せたくはない、というものでした。
死に向かう自分の姿を、最愛の妻に見せたくない、悲しませたくないという政宗の心情と、それを受け入れ、以後二度と会いたいとは言わなかったという愛姫。両者の思いの深さを感じさせます。